2007年夏にこの作品のロケハンのために来日をしていたイー・トンシン監督。私は一度案内を兼ねて横浜中華街へ同行したことがあります。「ちょっと違う なぁ」と監督も思ったのではないでしょうか。なんせ映画の設定では舞台は歌舞伎町。でも監督自身全編歌舞伎町で撮ることは無理だと分かっていたようで、海 外映画の日本撮影に携わっている私にとっても諸事情と日本での海外撮影誘致の消極性を鑑みると、勧めることは出来ませんでした。日本も地方都市などでは撮 影誘致のメリットも浸透しつつあることから歓迎をしてもらえるオープンさもありますが、歌舞伎町で撮るというのは一筋縄ではいきません。そして、脚本を読 んだ後に主演がジャッキー・チェンだということを聞かされ驚きました。正直まったく想定外のキャスティングでしたから。
残念ながら私は撮影隊には加われませんでしたが、プレスシートの「ロケ撮影日誌」によると、撮影は07年10月から08年の1月までに都内と近県、宮城県 や神戸、新宿でも花園神社など若干の撮影は行われたようです。07年の11月に中国映画祭でダニエル・ウーに会いましたが、その時はまだ脚本の許可が中国 大陸で下りていないことからインタビューでも本作に関しては何も話せないとのことで、役柄用にパーマをかけた髪もずっとキャップで隠していました。ダニエ ルには極限の演技を要求される作品だったのではないでしょうか。
『ワンナイト・イン・モンコック 旺角黒夜』(04)以来、イー監督お気に入りのダニエル、『プロテージ/偽りの絆(原題:門徒)』(07)と3作連続起用されています。今まで何度か通訳 を担当したダニエルのことはこのサイトでもよく触れていますが、話しだすとアメリカン(生まれ育ちはサンフランシスコ)、そして責任感が強く真面目。アジ ア系アメリカ人俳優の地位向上やネットワーキングにも熱心です。監督主演した『四天大王』は彼の地だと見受けられますが、二枚目のはずなのにダサイ系、お どおど君、ゲイからオタクまでと役柄はなかなか幅広い。
『新宿インシデント』で描かれるのは80年代後半?90年代、20年近く前の新宿です。偽造テレカをさばくというくだりがありますが、イラン人が「テレカアルよ?」と専売特許(と言うべきか?)のように売っていたのはいつ頃までだったのか。。。
そもそもイー監督がリサーチを始めたのが97,98年頃。中国農村部では、今でこそ国を出るよりも都会へ出稼ぎに行くことが一般的ですが、当時は命の危険 を冒してまで密航する人も多かったらしい。フィリピンには出稼ぎ御殿があるように、中国福建省には密航御殿があるとも聞きます。
本作では密航船で若狭湾に辿り着いた黒竜江省出身者という設定のジャッキー演じる鉄頭が下水道掃除(兼物色?)をする場面があります。いつしか死語になっ た、まさに3K労働。「不法滞在の外国人がやってくれなきゃ、誰も下水掃除なんてしてくれないんだから。。。」この台詞を言うのはどの作品でもアクの強い 竹中直人。本作では珍しく怪演ではない控えた演技で人情味のある北野刑事を演じ、映画の中でのわずかな救いになっている。最近では不法ではない、研修とい う名の下に中国やインドネシアからの研修生が農業、漁業や工場を手伝い、就労と見なすならその対価では搾取に等しいと問題になりました。
日雇いでは不安定だし搾取される。そのうちに出稼ぎや密航者は出身地域ごとに徒党を組み黒社会を形成、そこから対立や抗争が生じ、殺傷沙汰も起きた。イー 監督の目に留ったのは94年に歌舞伎町で起きた「青龍刀事件」。上海組が殺し屋を呼び寄せてまで、対立していた北京組の長の首を青龍刀で切り落としたとい うもの。監督のコメントによると、「世界に散らばっていった中国人が、それぞれの移住先で、自分たちの孤塁を守るコミュニティー作りをするのは珍しいこと ではありませんが、他のもっと開かれた社会とは異なり、日本は移民の受け入れに不寛容なために、根をはるには難しい国でありつづけました」。監督を含め香 港人にとって日本は人気の観光地。日本に生きる大陸の中国人のあり方に興味を持ったのでしょう。確かに日本は移民にも難民申請者にも大変厳しい移住先で す。それは日本政府が日本の治安が悪くなるのを恐れてのことですが、それが却って犯罪を助長し、闇の社会に生きざるおえない人口を増やしている矛盾もある のではないでしょうか。海外の中国人コミュニティーに惹かれたのは3月に紹介した『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』のユー・リクワイ監督も同じです。「ブラジルのような移民の多い開かれた街でも中国や日本人移民が犯罪に手を染めている話じゃな いか」と言われそうです。う?ん、映画の題材として黒社会はやはり描き甲斐があるということでしょうか。
我らがハンズアカデミーの老師(先生)たちは、ほとんどが大陸出身者です。バイトをしながら日本語を磨き、日本人同様に日本の大学を受験、授業を受け卒 業、就職に至るにはどれだけの苦学を要したかと頭が下がります。そんな裏社会とは無縁の中国人の人たちにはいくら一、二時代前を描いているにしても、こう いった映画でイメージを植え付けられるのはありがたくないかもしれません。本作がいくら編集を加えても大陸での上映許可が下りなかったのは、面子が第一の 中国としてはこんな中国人の姿を見せるのは容認しがたいからでしょう。
筆者が最近行ったシンガポールでは、本作がすでにNC16/Violence(16歳未満の子供厳禁/暴力シーンあり)指定で公開されており、「街角で派 手にドンパチやるシーンがあったけど、日本であんなことないよね?」、「日本人の目におかしいところはない?」などと数人に聞かれました。
ジャック・カオ演じる台湾派、その名も「ホンコン」チン・ガーロッなど、大陸出身者を描くと言ってもシュー・ジンレイやファン・ビンビンといった女優勢以 外、ジャッキー、ダニエル、ラム・シュといった香港映画でお馴染みの顔ぶれを見るとやはり娯楽色は増すものの、説得力にかけてしまう。本作は脱アクション 俳優を目指したジャッキーがイー監督の脚本を気に入り、ジャッキーの映画会社英皇(エンペラードラゴン)電影の資本で作られたもの。その資本がなければこ んな大々的な映画製作は不可能だったでしょう。ただキャストや資本の制約なしにイー監督が好きに作っていたらどうなったのか。そして大陸出身者中心に無名 俳優を起用して撮ったバージョンも見たい気がします(監督はジャッキーに「プロデューサーであっても口を出すな」と釘を刺したとのことですが)。でも ジャッキー主演のあくまでドラマとしてこそ存在出来た作品かもしれない。さもなければどこかの派閥の恨みを買ったり妨害があったりと、安全に撮ることは不 可能だったのでは。ドラマとは言え、一般の日本人が知らない状況を描いており、日本の一角であんな闘争が繰り広げられているのかと、薄ら寒い気がする。
はたしてジャッキーはアクション俳優からの脱皮に成功したのか?今まで御法度だった殺しに娼婦との絡みまで果敢に挑んだジャッキー。「ダニエルのお尻と比 較されるのを覚悟で裸になるほど真剣で必死な姿勢は買う」という男性のコメントを聞きましたが、同性ならではの鋭い視点かもしれない。
オリジナル公式サイトではメイキング映像がたっぷり見られます(字幕付きなので、広東語や北京語の勉強にもなります)。ダニエルのカツラ別バージョンや、 ジャッキーのカンペを見ながら台詞を言う姿、チン・ガーロッのアクション監督ぶり、シュー・ジンレイのNGなど。ジャッキーの今までの映画だったらクレ ジットとともに流れるNG集がお約束でしたが、今回はそれも封印です。
ジャッキーの新作はワン・リーホン(『ラスト、コーション』)と共演の武侠作品<<大兵小将>>。雲南で撮影したとのことで、こちらも楽しみです。
57年に香港で生まれたイー監督の父はプロデューサー、母は女優。俳優である異父兄弟の影響で、ショー・ブラザーズ専属俳優として76年にデビュー以来 40本の映画にも出演。その後86年には監督にも進出。脚本を書くのが好きで、リサーチ魔でもある監督はプロデュースも手掛けています。現在行われている 「イー・トンシン監督映画祭」では監督の作家としての世界を堪能出来ると共に、香港の時の移り変わりと返還後の中国との関係の影響を垣間見ることが出来ま す。
ヒット作ながら日本では公開という形にならなかった『プロテージ/偽りの絆』もスクリーンで観賞出来る貴重な機会となっています。上映期限が切れる作品もありますのでお見逃しなく。


















本作と『新宿インシデント』を比べると、現代の香港と中国の映画関係がよく分かります。脚本の時点で許可が下りないまま撮影に入り、中国での公開のために 編集を重ねながらも大陸は断念、4月に香港や東南アジアで公開となった『新宿インシデント』。かたや『ラブソング』、『ウィンターソング』のピーター・ チャン(陳可辛)監督と四川省出身の敏腕プロデューサー韓三平(『始皇帝暗殺』、『山の郵便配達』、『ミラクル7号』、『レッドクリフ』ほか多数)が組 み、ジェット・リー、アンディ・ラウ、金城武の3大スター競演の『ウォーロード 男たちの誓い(以下、ウォーロード)』は昨年の’香港のアカデミー賞’、香港電影金像奨では作品賞、監督賞、男優賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、音 響効果賞、視覚効果賞と計8部門で授賞。社会派の信念とポリシーを曲げずに撮った『新宿インシデント』は観客と映画界にどう評価されるのでしょうか。





