「完全保存版」と題名に冠したB5版528ページの重みのある本です。毎年多くの映画が作られ、ましてや中国は21世紀のハリウッドかと言われるこの頃、 それこそデータは毎年更新しなければ間に合いません。10年は使えるものをめざした「中華電影データブック 完全保存版」(以下DB)、執筆中にも情報は増え続け、あるいは亡くなった人物がいるなど直前まで対応に追われた執筆者もいたようです。網羅されている俳 優・スタッフ850人、映画作品は600本以上にのぼります。

前回のDBが出版されたのは97年。私がインターネットを始めたのが奇しくも97年ですが、当時と比べるとインターネットの普及においては隔世の感があり ます。ネット上には充実したデータを提供するページも多数ありますし、どうせならウェブ版を作るべきでは、という指摘ももっともだと思います。しかしなが らこのDB、単なるデータ集にあらず。執筆陣の知識や体験、カルトな興味が遺憾なく披露された中華圏映画好きにも、調べ物をする関係者、字幕翻訳・通訳者 にも満足してもらえる充実した読み物となっています。加えて映画祭上映のみ、DVD発売のみといった作品も網羅されています。また、後からでも訂正の利く ウェブの情報と違い、執筆者はそれは細かいところまで情報の精度を確認しています(それでもぽろぽろと間違いは発見されているのですが)。掲載されている 人物の中には名前の表記が複数存在する人、そして作品も映画祭や上映国によって違うタイトルが付いている、など統一を図るにも大変な苦労と時間を要したそ うです。作品紹介ではネタバレも含まれますが、掲載された中には見ることが容易でない作品もあり、資料として結末まで書くことが奨励されたという背景があ ります。

97年と言えば香港の中国返還という大転換期でもあり、映画人の、そして香港映画ファンの間にも不安が渦巻き、それこそ当時は多くの香港人が北米などへの 永住権取得や移住に躍起になっていました。それが今では中国大陸に移り住む人も多く、ビジネスでも北京語が不可欠になり、香港でも北京語が幅を利かせるよ うになりました。それに伴い映画人もしたたかに中国との共存の道を探ってきました。映画製作において中国と言う巨大マーケットからの出資を受け、映画を上 映するためにはまず中国当局の脚本審査に通らねばならず、香港映画独自の緩さや感性は失われたのかもしれません。しかし大陸映画にとっては香港映画のス ターや娯楽性という新たな血が入ったことで映画はより洗練を見せ、香港ではその反発もあり、より独自性を強める刺激的な作品も生まれるなど変化は多くをも たらしました。そして大陸と台湾の映画人の交流からなる政治的雪解けも、一大中華電影共栄圏の思わぬ産物かもしれません。私も開始以来ここ二年ほどこちら のサイトでもこの種の話題はそこかしこで触れてきましたし、香港はじめ中華圏の映画人に話を聞くと、各人のスタンスでの映画界での処世術が話の端々に感じ られました。このような流れに関しては、DB冒頭に監修担当でもある各方面の専門家がコラムで考察をしていますので、是非ご一読下さい。

そして数は多くはないものの、近年勢いのあるマレーシアとシンガポールの華語(ローカル化された北京語)ほか南方方言を含む作品も含まれています。筆者はシンガポールの監督や作品紹介の執筆を担当しました。昨年東京でSintok シンガポール映画祭が 開催されるなど上映の機会は増えつつありますが、残念ながら劇場公開に至る作品はわずかです。しかしながら中華電影共栄圏時代にアジアの華人の交流とネッ トワークは不可欠な要素となっています。北京語や方言を話す人、話さない人など様々ではありますが、華人はインドネシア、タイやフィリピンそして世界中に いるのですから。韓国も積極的に大陸の作品に参加・出資しています。それは『戦争のレクイエム』における戦闘シーンの撮影技術であったり、前号の記事で紹介した『ソフィーの選択』主演で北京語の台詞に挑んだソ・ジソブ然り。また、韓国人による韓国映画ではありますが、現在香港映画『男たちの挽歌』(’86)の韓国バージョンの撮影も行われています。日本人でも作曲家の梅林茂(『王妃の紋章』)のように中華圏映画に携わる人材、また俳優も沢山います。台湾に中国語留学し、帰国直前に『海角七号/君想う、国境の南』の主演に抜擢されブレークした田中千絵はその後も台湾を拠点に活動し、今では大陸の映画にも出演しています。私たちもいつでも仲間に入れるように、中国語学習にいそしんでおくとしましょう。