痛快娯楽大作時代劇。しかしながらテーマは中国の命運をかけた歴史的ミッションであり、絶体絶命な状況が展開され、多くの犠牲も伴う。孫文が登場する映画は今までも『宋家の三姉妹』(97)、『孫文 -100年先を見た男-』(07)などが作られていますが、本作は孫文に関して詳しくなくても活劇、人間ドラマとして楽しめる作りになっています(孫文に関しては文末の略歴も参照下さい)。それと言うのも、義士団の中には孫文が何者なのか分かっていない者もいれば、愛や忠義、そして巻き込まれたように孫文を守るミッションに参加する者もいるのです。
本作の英語タイトルは<Bodyguards and Assassins>、護衛団と暗殺団。亡命生活を送る革命家、孫文が香港に滞在している短い間に彼の命を狙う清朝政府側と、彼を守る革命派側=義士団の 攻防が描かれますが、映画の前半は登場人物たちと義士団が結成されるまでの経緯が丁寧に描かれます。本作のキャストが発表になった時、その面子の豪華さに 驚くと同時に、これだけのスターをどう配置するのかと思ったものです。中華圏俳優に馴染みのない人が見ることを想定した場合、混乱はないのだろうかとも思 いましたが、複数主演がいるようで、革命に距離を置きながらも誇り高い商人リー・ユータンを演じるワン・シュエチー(『花の生涯~梅蘭芳~』) が確かな存在感を見せ、第29回香港電影金像賞や第4回アジア・フィルム・アワードで最優秀主演男優賞を受賞しています。リー・ユータンはまさに核、そし て群像劇の鎹(かすがい)の役目を果たしており、人徳と財力を築いた彼なくしてこの異端な義士団を集めることはできなかったでしょう。ただそれ故に取り返 しのつかない悲劇も引き起こるのだが…。
しかし新聞社社長で中国同盟界の香港支部長シャオバイ(レオン・カーフェイ)やリー・ユータンが、西太后の指令で召集された暗殺団が500人もいると知っ ていたなら話は変わったのかも…いや、革命はそんなことでは怯まない、どんな犠牲を払っても成し遂げなくてはという強い意志があったからこそこの「1時 間」という時間制限付きミッションに賭けたのだろう。義士団の中には実在した人物から名前を取っているキャラクターがいますが、これは豊かな想像の産物で しょう。特に後半、アクション・シーンでは完全に主役の香港警察の警官チョンヤン(ドニー・イェン)は、ギャンブルで身を落として妻子に去られ、金のため に暗殺団を率いるシャオグオ(フー・ジュン)の雇われスパイも働く誇りをすべて失ったような男。しかし手放してしまった子供の将来のために出来るのは裏の 義士団として壮絶に闘うことだけと悟る熱い男をドニー・イェン (『イップ・マン』シリーズ)が演じています。
登場シーンは短いながら印象的なジャッキー・チュン、元将軍の身分を京劇団の座長という姿で隠すサイモン・ヤム、英国統治下の香港警察署長という立場で葛 藤を見せるエリック・ツァンら芸達者に加え、キャラクターの妙が光る役者が揃っています。暗殺団を率いるフー・ジュンは『レッド・クリフ』 の趙雲役とは対極のコワモテ路線がはまっているし、内モンゴル出身のプロバスケットボール選手メンケ・バータルは俳優としては役が限られるでしょうが、こ の少林寺上がりの優しい臭豆腐売りの役柄は好感が持てます。そしてベトナム人格闘家の暗殺団No.2役のカン・リーの殺気は見応え十分です。しかしキャラ クター大賞は謎めいた乞食のレオン・ライ(『花の生涯~梅蘭芳~』) かもしれません。どこかアニメがかっており、後半は格闘ゲームの様相を呈してきます。そして果たして第29回香港電影金像賞で最優秀助演男優賞を受賞した のは主人であるリー・ユータンと息子のチョングアン(ワン・ポーチェ)にあくまで忠実な車夫アスーの純粋さをひたむきに演じたニコラス・ツェ(『インビジブル・ターゲット』)でした。
そして本作のもうひとつの見どころは香港の町並みの再現。清朝、英国の存在、そして革命派。細部まで凝った見事なセットや衣装によってこの混沌として、かつ躍動的な時代にタイムスリップ体験が出来ます。
本作には、プロデューサーをつとめたピーター・チャン監督(『ウォーロード 男たちの誓い』)の父、チャン・タンマン監督による<赤膽好漢 / The Bodyguard> (73/74)という原作があり、ピーター・チャン監督も子役で出演しているそうです。それをリメイク、というよりは全く別の構想でテディ・チャンが監督 で撮るようになったいきさつ、そしてこの映画が出来上がるまでの長い道のりが下記監督のインタビューで語られています。
タイの華僑として生まれたピーター・チャン監督。アメリカUCLAの映画学校を卒業後にジョン・ウー監督の助監督となり、90年代には『君さえいれば/金 枝玉葉』(94)、『ラヴソング』(97)といったヒット作を監督しています。本作にも出演しているレオン・ライとマギー・チャン主演の『ラヴソング』は 大陸から香港に渡った男女の10年を描いた名作です。その後アメリカやアジアでの活動を経て、香港・中国合作の『ウォーロード/男たちの誓い』 (07)といった大作を手掛けています。中華圏を離れたことでさらに中国人であることを意識したのでしょうか、中国人とは、中国人の誇りとは何かを問うて いる感があります。娯楽大作として時代劇は格好の題材ですが、現代の中国のうねりを背景に、『ラヴソング』の二人のその後の十年を描いた続編を撮ってもら いたい。私小説的な作品もまた作って欲しいものです。
孫文に関する映画としては、彼と日本人支援者の縁があることから、日本での孫文を描いた作品も企画されているそうです。マレーシアに逃亡中の孫文を描いた『孫文 -100年先を見た男-』は中国とマレーシア初の合作映画でした。多くの国を渡り歩き、孫文自身会ったことのないそれは多くの人々が関わった「革命」。中国史としても、またドラマとしても想像力とロマンを掻き立てるには事欠かない題材だけに、これからも作品が作られることでしょう。
『テディ・チャン監督インタビュー』
取材・文 くれい響
――本作の原案でもある『赤膽好漢/The Bodyguard(未)』は、プロデューサーであるピーター・チャンの実父(チャン・タンマン)の監督作ですが、なぜ、あなたが監督することになったのでしょうか?
1999年に、親友であるピーターと2人で会社を作る話になったとき、最初に手掛ける作品はフィクションでなく、できれば史実に基づいた話を撮りたいと思いました。その後、なかなかアイデアが浮かばなかったところ、ピーターから『赤膽好漢』の話を聞きました。その作品は1人の英雄が孫文を暗殺団から守るという話だったんですが、もし、私が手掛けるなら、もっと英雄の数を増やしたいと思いました。それが、本作の企画の発端です。
――その後、脚本が仕上がり、03年にはクランクインする予定でしたよね?
とても製作費がかかる作品にも関わらず、出資者がなかなか見つからなかったんです。見つかった投資者には、全体予算の1/3もかかる大規模なセットを中国・広州に建てることはやめてほしいと言われ、そこがクリアされても、今度は俳優のスケジュールが合わず、キャスティングに難航した。そこもなんとかクリアしたら、今度は香港でSARS騒動が起こってしまった。それも治まって、ようやくインしようとしたところ、大切な出資者が自殺してしまったんです。彼の死によって、映画の撮影どころではなく、さまざまな訴訟問題に巻き込まれてしまいました…。
――具体的に、それはどういうことでしょうか?
彼が銀行マンだったゆえ、映画に出資してくれたお金が銀行のものだった、という話が出てしまったんです。その疑惑も晴れ、彼個人が所有していたお金だったことが判明するまで、約2年。その期間に、一度建てた木造セットを全部解体しなければなりませんでした。その一方で、母がこの世を去り、私自身も事故に遭い、体調も壊してしまった。ここまで災難が続いてしまうと、私のような人物が孫文のような偉人を扱ってはいけない、というメッセージなのかもしれない。だから、このプロジェクトから降りるべきなのか、とも思いましたね。
――そのスランプを乗り越え、09年に無事クランクインできた理由は、なぜでしょうか?
亡くなった親友である出資者や母親のためにも、この映画をなんとかして完成させなきゃいけないと思ったことは大きいです。そして、私が戦ったこの十年で、 中国の映画産業が一気に伸び、映画の興行収入だけで製作費を回収できる状況になっていたこともあります。そのため、99年の時点では6800万香港ドル だった製作費が、最終的に1億5000万香港ドルに跳ね上がっても、まったく問題はありませんでした。
――エンドロールには、『インファナル・アフェア』のアンドリュー・ラウ監督の名が入っていますが、彼は本作にどのように関わったのでしょうか?
当初の予定よりセットの完成が1ヶ月遅れたのに関わらず、キャストを使った撮影は当初の予定で終わらせ、彼らを次の現場に行かせなければならなかったんで す。7月いっぱいのアップの予定が、7月に入っても残り1/3の撮影が残っていた。そこで親友でもあり、早撮りで有名な彼に上海の現場に来てもらい、クラ イマックスに展開される戦いの撮影を手伝ってもらいました。最後の最後に、私に訪れたピンチを救ってくれました。
――製作中から、ハリウッドからリメイクのオファーがあったという話は本当ですか?
製作の資金繰りに困っていたとき、ハリウッドのプロデューサーから連絡があり、孫文がLAからサンフランシスコに移動する途中で、暗殺者に命を狙われる設 定に変えられないか、と提案されました。実際に孫文は、サンフランシスコ滞在中に暗殺に遭っていますから。義勇たちは白人、黒人、黄色人種やインディアン まで出てくるようでしたが、あくまでも私が撮りたかった映画は“中国人の映画”なので、即答で断りました。
――最後に、本作を日本人はどのように見たらいいのでしょうか?
この作品の面白いところは、十代から六十代まで、どの年代のみなさんにも楽しんでもらえるところです。四十代以上の方なら、孫文の存在を知っていることで しょう。彼は日本に滞在し、日本政府も彼をバックアップしていたのですから。彼を知らない若い方は、ニコラス・ツェーなど若手キャストの活躍を見ればいい ように、あらゆる世代のキャラクターが登場し、それぞれの感情で見ることができます。つまり、国籍や年代関係なく、ドラマのなかで描かれる人間の感情部分 を受けて入れてもらえると思います。
辛亥革命により清王朝を倒し、中国近代化に貢献。台湾では「国父」、中国では「革命の父」と呼ばれ、今も尚語り継がれる、世界的に有名な革命家。
1866年、広東香山(現在の中山市)翆亨村に生まれる。字は逸仙、号は中山。
青春時代、ハワイにいた兄を頼り渡米。そこで西洋思想に傾倒する。
帰国後は香港西医書院で医学を学びながら、革命を志すように。卒業後はポルトガル領マカオで医師として開業。94年、ハワイで革命団体 興中会を組織。95年に香港で最初の武装蜂起を試みるが失敗。亡命生活を余儀なくされる。このときの亡命先は日本、アメリカ、イギリスだった。96年、亡 命先ロンドンでの逮捕・釈放で一躍世界にその名を知られる。1900年、楊衢雲を継いで興中会会長に就任。この間、かの有名な三民主義を構想する。05年 東京で中国同盟会を結成。06年の萍瀏醴起義を皮切りに、潮州黄岡・恵州七女湖・欽州防城・鎮南関起義(07)、欽廉上思・雲南河口起義(08)、広州起 義(11)を指揮。そして、1911年10月10日、辛亥革命の成功により、遂に清王朝を倒し、2000年に渡る中国の王政に終止符を打つ。
1912年、南京にて臨時大総統に就任するが、同年2月、革命政府維持のため、宣統帝溥儀の退位を条件に、清朝の実力者、袁世凱に同職を譲り、全国鉄路督弁となる。13年の宋教仁暗殺後、2次革命を起すが失敗、日本に亡命。
14年、東京にて中華革命党結成。15年、護法運動を発動。16年袁世凱の死によって帰国。広州に中華民国軍政府を樹立し、北京政府と 対抗する。同年、中華革命党を中国国民党に改組。22年、陸海軍大元帥として北伐を号令するが失敗、23年を通じて、ソ連の援助を背景にした党改造を進 め、25年1月中国国民党第1回全国代表大会を開催、第1次国共合作を実現し、再び北伐を開始する。同年11月日本の神戸にて大アジア主義に関する最後の 講演を行う。そして、25年3月北京で逝去。中国民主化への高い理想をあらわした「革命未だならず」という有名な言葉を残し、40年に渡り革命に身を費や したその生涯を閉じた。

























