

『水の彼方 Double Mono』
田原(Tian Yuan ティエンユエン)。姓が田で名前が原です(本名をもじった名前のようです)。
若手女優としての彼女に初めて会ったのは数年前の北京。2度目の短期留学中で、英語が上手な中国人に会うのは新鮮な驚きでした。聞けば北京語言文化大学英語学科の学生さん(2007年に卒業)とのこと。華奢で少年のような印象を受けたのですが、日本にも田原ラブなファンが少なからずいたのでした。その後東京国際映画祭で出演作が上映された際に彼女が来日し、Q&Aの司会を担当したのですが、彼女のブログに関してほかただものではない質問が出たことでもそれは分かりました。
2年前に北京で会った時にはなんと小説が日本語に訳されるというではありませんか。デビューは歌手としてだとは聞いていましたが、作家でもあったとは。彼女の感性に惹かれて翻訳をしたのは泉京鹿さん。1991年に北京を旅したことをきっかけに留学を決意し、1994年から北京大学で学び、卒業後は日系広告代理店勤務などを経て、ライターやコーディネーターなどとしても活躍しながら今は翻訳家として忙しい日々のようです。『水の彼方』も彼女のアンテナにビビっときて日本に持ち込んだ企画とのこと。
泉さんは田原のような若くて魅力ある人物の作品を紹介することで、日本ではどうしても先入観や特定のイメージで見られ・語られる中国を身近なところに持っていきたいという気持ちがあるとのこと。同列で書くのはおこがましいですが、中国の専門家ではない私が中華圏の映画を紹介することで、メディアなどで語られる中国とは違う視点で、個人的な体験に結びつけたいと思っているからです。
昨年会った田原はチベット仏教の精神世界に共鳴して、精進料理しか食べなくなっていました。日本ではお魚の出汁も、鰹節も食べられません。赤肉は食べないけど、鶏肉や魚介類は食べるいといった、そこいら辺にいるファッショナブル・ベジタリアンとは違います。そんなストイックさがいかにも田原らしい。迎合を嫌う田原にとって芸能界は、いやこの世界は住み辛いかもしれない。そのうちあっさり演じることを辞めてしまうのではないかと思えなくもないけれど、彼女は写真や歌やそして書くといった様々な表現方法を持ち合わせている人なので、一生創作を続けてくれることでしょう。
田原: 1985年3月30日 湖北省武漢生まれ。北京在住。ブログ:http://blog.sina.com.cn/tianyuan
『水の彼方 Double Mono』(原題『双生水莽 Double mono』)
(泉 京鹿・訳/講談社より09年6月刊行)
《双生水莽》のモチーフは、清代の怪異小説集、蒲松齢・作『聊斎志異』の中の「水莽草」という物語。
水莽とは、毒草なり。葛のごとき蔓が生じ、花は紫であずきに似る。誤って食すれば、たちまち死して、水莽鬼となりき。この鬼輪廻転生かなわず、ふたたび毒にて死するものあれば、これにとってかわるべし、という。
――『聊斎志異・水莽草』
いつしか生えていた双子の水莽。まるで陰陽の両極に、根を同じくするかのような、相克相生。この水莽は幾世紀ものあいだずっと、この世の移ろいに身をまかせながら、いつまでもふさわしい寄生者を見つけられず、幽霊のように水の底にひそんでいる・・・。
湖北省・武漢で生まれ育った陳言は、アレン・ギンズバーグの詩を好み、ニルヴァーナのコピーバンドのメモリアルライブを聴きにライブハウスにタクシーで駆けつけ、好きな映画は岩井俊二の『スワロウテイル』という地元の名門進学校の女子高生。近所に住む幼なじみの程克とは、家族ぐるみのつき合いでいつも一緒にいるけれど、まるで兄妹のような男女を超えた情で結ばれている。小学校高学年のころ、中学生の従兄と一緒にアヒルを見に行った湖のほとりで、従兄に抱きしめられたときの淡い思い・・・あれは初恋だったのだろうか。
昼間でも、ふとしたときに夢の世界に入り込んでしまう陳言。それは、幼い頃母に連れられて行った公共浴場の風景に始まる。白昼夢となって現れる不思議な記憶、家族、友人、初潮、初恋、初体験、外泊、祖父母の家で過ごした夏の日、上京、大学生活、親に隠れて寮を出ての共同生活、父の浮気、両親の離婚、妊娠、流産・・・・・・。
輪廻転生を待ちつづけ、水の底で息を潜めながら、からまりあう水草になぞらえた10代の若者たちのやるせなくもせつない青春の破片を、美しい映画のシーンのように鮮やかにつむいだ青春小説。
文化大革命も知らず、天安門事件の記憶もなく、生まれたときから中国の急激な経済成長、飽食の時代を生きてきた中国の「ビート・ジェネレーション」「ロスト・ジェネレーション」世代と呼ばれる「80后(80年代生まれの若者たち)」の戸惑い、孤独、憂鬱を淡々と、そしてブリリアントに描く。激しく変動する社会の中、その流れに逆らわないままに静かに崩れてゆく若者の心の動きを、まっすぐに、そして美しい言葉でつづる。
まえがき・田原
『水莽草』は『聊斎志異』の中の物語です。聶小倩(注:香港映画『チャイニーズ・ゴーストストーリー』の原作)、画皮、促織、労山道士などのようによく知られた話というわけではなく、80年代版のテレビドラマの中にもありませんし、多くの口語訳セレクションにも入っていません。
2003年にSARS(新型肺炎)が流行したころ、私は推薦入学試験に合格し、早々に入学通知を手にしました。家の中はいつも「84消毒液」のにおいが充満していて、外はどこもかしこも緊張がみなぎっていました。5月から8月まで、それまでの人生で一番のんびりとした時間をすごしました。毎日何もすることがなく、感情の起伏は激しく、けれど自分のほかにはただ自分しかいないという生活でした。そんなとき、私は初めて『水莽草』を読みました。読み終わって、私はようやく自分が何者であったのか――水莽草に宿っている幽霊だということがわかったのです。陰陽ふたつの世界を飛び越えて生まれ変わることはできず、この毒草を誤って口にしてしまう人が現れ、それにとってかわるのを、ただひっそりと待つことしかできないのです。
高校時代に、誤って水莽草を食べてしまった私は、表でもなく裏でもない、ふたつの世界の間に閉じこめられてしまったのです。
陽射しが何度も屈折を繰り返してようやく届くような水の中にひたっていた日々、いつになったら岸に上がれるのかと、私は目を細めながら岸辺を見上げていました。
そんなころ、北京に移り住んだ私は、少しずつ干からびた水莽草に変わっていきました。ちょうど小説の中で、陳言が日記の間に挟んだあの草のように。ヒトの身体の細胞はいつでも絶えず死んでゆき、また新しいものが生まれています。ヒトの身体は五年に一度、血がごっそりと入れ替わるといいますが、私たちはそれでも私たち自身のままなのでしょうか?岸に上がってからは、あのじっとりと湿った感覚は次第に遠くなってゆき、もはや毎朝5時半に起きる必要はなく、毎日何番かの路線バスに乗る必要もなく、イヤホンを袖の中に隠す必要もなく、ビニール袋に入った「熱乾面(屋台などで売っている武漢の名物)」を朝ご飯にする必要もなく、花壇のそばに座り込んで夕飯を食べる必要もなく・・・・・・。新たな生活に楽しく順応し、新しい友達もできました。私の「大気圏」は、かつては水でしたが、今ではふんわりと軽やかな空気になりました。
再び水の中に入るとしても、それはもはやかつて馴染んだあの水ではなくなってしまった・・・・・・
だから私はペンを取り、あの水の底にいたころの生活を記録することを試みたのです。始めから終わりまで、数年の時を経て、変化を繰り返しながら、この物語は幸いにして生き残りました。読者のみなさんが目にする文字の中には、数え切れないほど多くの人々の生活がひそんでいます。私たちはみな、かつては水の底に巣くう、多かれ少なかれ似たようなものだったのです。
田原 2007年3月