中国映画情報!今月の紹介は「『海角七号/君想う、国境の南』ウェイ・ダーション監督、主演俳優ファン・イーチェン インタビュー・『中国インディペンデント映画祭』です。

中国映画情報
映画プレゼンター、松下由美さんが中国語圏の映画を紹介するコーナーです。
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2009年12月
『海角七号/君想う、国境の南』ウェイ・ダーション監督、主演俳優
ファン・イーチェン インタビュー・
『中国インディペンデント映画祭』

海角七号/君想う、国境の南

海角七号/君想う、国境の南│イメージ
(C) 2008 ARS Film Production. All Rights Reserved.
『海角七号/君想う、国境の南』

日本での初上映は08年のアジア海洋映画祭イン幕張。コンペティション部門でのグランプリを受賞している。すでに地元台湾でのメガヒットの噂は聞いていたものの、その時の私の印象は「あまり洗練されていない、ドタバタとした映画」というもの。ところがその後、脚本も手掛けたウェイ・ダーション(魏徳聖)監督のことや映画の背景を知り、その類い希な信念と情熱に脱帽した。インタビューで数分に集約して話してくれたことからすべては窺い知れないし、「苦節○○年の人」なんて呼ばれるのは監督には不本意かもしれない。

海角七号/君想う、国境の南│イメージ
(C) 2008 ARS Film Production. All Rights Reserved.
1968年生まれのウェイ監督は、兵役中に仲間と映画談義に明け暮れた経験から除隊後に映画の道に進むことを決め、95年からエドワード・ヤン監督の元で働き、『カップルズ』(96)では助監督を務めた。その後短編<七月天>(99)などを撮り評判を呼んだ。90年代末からは、1930年に起こった霧社事件(日本の台湾統治時代時代に台湾中部の山地・霧社で起きた最大の抗日蜂起)を題材にした<賽徳克巴莱(セデックバレ)>の構想を温めだしたものの、低迷する台湾映画界での資金集めは不可能であり、200万元以上の私財を投じて5分間の予告編を作って出資を募ったという。まずはヒットの実績を作るべく撮ったのがこの『海角七号/君想う、国境の南』(以下『海角七号』)。『海角七号』の記録破りのヒットは社会現象おも生み、その売上げ、政府からの賞金、アン・リーの援助の申し出に加えジョン・ウーがプロデュースを買って出るなど、話題性だけでも大きな告知となっている。

海角七号/君想う、国境の南│イメージ
監督:ウェイ・ダーション
ウェイ・ダーション(魏徳聖)
監督インタビュー


◇(=筆者)監督のご出身は台湾の地方なのですか。
◆(=ウェイ・ダーション監督)出身は台南で、にぎやかなところで育ちました。

◇ 本作には台湾語(福建方言の一種で、台湾で独自の変化を遂げた)、国語(北京語)、日本語が使われていますが、東京で試写が行われた際、台湾語の台詞の箇所には黒い●を付けて区別がされていましたね。
◆ 日本の事情が分からず、試写ではやり方を模索してみました。他言語というのは台湾の文化ですが、それを海外へ持っていくのは難しいです。

◇ 台湾では台湾語、方言あるいは数ある土着語の使用に制限はあるのでしょうか。
◆ 規制などは全くなく、メディアでも自由に使われています。

◇ 中国での公開に当たり、親日的とされるシーンが検閲によりカットされましたが。
◆ もちろん中国の検閲によるカットは不本意ですが、中国で上映するには中国のルールに従うしかない。どこであれ現地の観客に一番近い考え方や習慣にあわせ、その範囲で伝えたいことを伝えられたらと思っています。それは仕方のないことです。

◇ 「無職監督日記」というブログも付けていたそうですが、<賽徳克巴莱>実現のために奔走し、その過程で『海角七号』を撮ったここ10年ほどはどうやって気持ちを維持して頑張ったのですか。大衆に受け入れられるヒット映画は作ろうと思って作れるものではありませんよね。
◆ もう過去の話だけどね…(企画が実現するまで)待っているのは辛い、だけど自分にほかに何かできることがあるかと思った時、僕には映画しかやれることがないって思ったんだ。途中で転向していたら、後で後悔するかもしれない。僕は芸術映画を撮ろうと言う気持ちはないし、自分の強みはストーリーを語ること。だからやりたいことをやるために時を待って賭けに出たのが今回の結果になった。何かを諦めないことにパワーが必要だとしたら、何かを諦めることの方がもっとパワーを要するんじゃないかな。自分には諦める勇気はなかった。

◇ 製作の過程を伝える<賽徳克巴莱>日本語版ブログがすでにありますが、それはどういった戦略からですか。
◆ それは日本と中国も念頭に置いた、マーケティングを考えての上です。自分としては『海角七号』の時と同じですが、大きな賭けです。宝くじに当たったか、神様の贈り物のようなこのチャンス、知名度と資源を大いに利用したい。この霧社事件はすでに知られており、小説もあるので、従来のやり方であれば公開までは全貌を隠すのが通常の手法だけど、ぼくとしてはすべてを公開したい。撮影シーンだけではなく、今日こういうことがあった、製作のプロセス、こんな決定をしたということをブログの読者と共有することで一緒に革命を起こし、劇場で見た人は最後まで一緒にやり遂げた感覚を味わえるのではないかと。子供が生まれ〜成長〜病気〜入学卒業〜を見守ってきたとしたら、その子の結婚式に行かずにはおれませんよね。だからプロセスを見ていたら完成作を見ずにはおれない、きっと友達を連れてきてくれると信じているんです。

◇ 霧社事件では、親日派と反日派のタイヤル族同士の間で殺し合いがありました。日本人・日本統治時代のせいで、同じ民族間のしこりが今も残っているのが気になっているのもこの作品を作る理由でしょうか。
◆ 主な理由は和解策を考え求めること。過去にあるしこり、恨みの原点に戻ることもひとつですが、映画で善人悪人を判断しようとは思っていません。タイヤル族の中で反日親日派があったという概念や、外から見ると同じ民族同士で戦うことに疑問があるかもしれませんが、彼らにとっては部落が違うことは国が違うようなものでした。宇宙人から見れば同じ地球人同士で戦っていると思うでしょうが、地球では異なる国や地域同士で戦っているのと同じこと。霧社事件は複雑で、本などそれぞれが違う観点で書かれているので、影響を受けないように、リサーチが終わった段階でそれ以上何も読まないようにしました。

◇ <賽徳克巴莱>は『海角七号』に続いて日本絡みの題材ですが、日本との歴史にこだわるところがあるのでしょうか。それともそれだけ台湾の中の日本の存在は自然ということでしょうか。
◆ 台湾の中の日本の存在はとても自然です。まわりには日本的なものがあり、日本語が聞こえる。日本はそこに点々としているんです。『海角七号』ではありのままの姿を映画で見せただけで、日本を美化する意図はありません。いかに日本が台湾の生活に溶け込み、生活の一部になっているかが反映されただけです。

◇ <賽徳克巴莱>の美術監督に『不夜城』、『冷静と情熱の間』、『シルク』など中華圏の映画も多く手掛けている種田陽平さんを起用したきっかけを教えて下さい。
◆ 台湾だと美術、大道具は人材不足だし、映画製作にブランクがあったので、古い時代の美術を手掛けられる人たちは年を取っています。また、大掛かりな作品なので、国際的協力の必要性がありました。日本映画の美術は世界的に有名ですし、プロデューサーが種田さんの仕事の素晴らしさを知っており、こちらからアプローチをしました。
物腰が穏やかなウェイ監督だが、話の中に「賭け」という言葉が何度か出てきた。映画の製作、そして興行とは賭け以外の何物でもない。その世界に身を投じる人は皆勝負師と言えますが、ウェイ監督なら波に乗っても流されない判断ができそうです。私たちも彼の「子供」の成長を見守っていくとしましょうか。

海角七号/君想う、国境の南│イメージ
主演:ファン・イーチェン
ファン・イーチェン(范逸臣)・インタビュー

1978年台東生まれ。原住民、阿美(アミ)族の血をひく。02年にファーストアルバム「范逸臣」をリリース、同作に収録された『猟奇的な彼女』の中国版主題歌「I Believe」とドラマ<PIANO>同名主題曲で一躍注目を浴びる。アルバム「信仰愛情」(03)、「愛情程式」(04)発表、「バラードの王子」というイメージが定着していたが、一転、ドラマ「惡男宅急電」(05)ではロックな主題曲を発表。初の映画出演となる本作で、得意なギターの腕を発揮してロックの才能を開花させている。本作挿入歌「国境之南」で第45回台湾金馬奨 最佳原創電影歌曲獎 受賞。08年ベストアルバム「無楽不作」発表。08年12月にはゲストにウェイ監督、本作の共演者らを迎え、夢だった台湾アリーナ・コンサートを実現。09年は4人の台湾の著名クリエーターによる、オムニバス映画<愛到底>に出演。海角人気で日本語版ファン・サイトも誕生した。

◇(=筆者) ファンさんはデビュー当時からの「長髪のバラード歌手」というイメージがありましたが、実際のところはボンジョビ、エアロスミス、ガンズ・アンド・ローゼズといったロックが好きとのこと。その辺りは台湾の音楽業界で求められる音と自分のやりたい音楽のギャップがあるのでしょうか。
◆(=ファン・イーチェン) 市場で求められている音楽と自分でやりたいものにギャップがあるのはよくあること。作る側は芸術作品と捉えていても、何が売れるか分からないので、業界側からは商業的なものを求められ、噛み合わないところがあります。そこが妥協の生じるところだけど、どうやって折り合いをつけるかを話し合ったり、考えるのもミュージシャンの仕事です。

◇ ロックは反逆の音楽と言われますが、葛藤するミュージシャンという『海角七号』の役柄は、ファンさんにとっても丁度いいタイミングで来たのでしょうか。
◆ タイミングはよかったかもしれない。正直なところ、自分がやりたい音楽をやろうとするなら、アルバムを出さないといけないというルールはないし、パブでミニ・コンサートを開いてもいい。そんなことを考えているときに丁度この映画の出演が決まり、「バラードしか歌わない」というイメージ以外の自分も見せることができて、変わろうとしていた自分の助けになるいい転身が図れました。

◇ ファンさんは阿美族の血を引いていて、子供の頃は台湾語は話さなかったとのことですが、どんな言語背景で育ったのですか。
◆ 阿美族の言葉と国語(北京語)は学校で学びました。故郷の台東では台湾語を話す環境がなくて、台中に引っ越してから学びました。阿美族の言葉は中国語の無類には全く属さない、フィリピン、マレーシア/インドネシア語に近いポリネシア系言語です。

◇ 今年公開されたドキュメンタリー映画『トーテム』のスミンさんのような民族音楽にこだわっている若いミュージシャンは珍しいのでしょうか。
◆ 彼とは同じ阿美族で知り合いです。音楽の好みは人それぞれですが、ぼくの場合は小学校を卒業した後に台東の部落を離れて台中に引っ越したので、ポップスの影響を受けました。スミンの場合はわりと部落で育った時間が長いんじゃないかな。スミンのように民俗の音楽を愛してくれるミュージシャンがいるのは嬉しいです。次の世代にも民族音楽を伝えてくれるし、残して欲しいから。

海角七号/君想う、国境の南│イメージ ◇ 『海角七号』は監督が金策に苦労して、撮ることが大変だったということが伝説になっていますが、それは出演者である皆さんに伝わっていたのでしょうか。俳優たちはその影響を受けずに和やかに撮れたものなのでしょうか。
◆ 資金状況が厳しいというのは聞いていまいた。そもそもクランクインしたのは07年5月だったけれど一旦止めて、また10月に開始したということからもそれは分かります。ただほかの台湾映画も予算が厳しいというのはよくある話なので、ぼくたちは何もしないと言うか、何も手伝えないし、口出しできないことなので、知らない振りをしていました。監督の予算は5千万元だったんですが、もし適当に撮るなら1−2千万の予算でいけたかもしれない。たとえばセットは組まないでどこかの家で撮るとか。ただ監督は自分のこだわりがあって妥協はしたくない、このカットが欲しいということからお金をかけたということもあったので、安心感を与えるためにぼくができることは知らんぷりすることくらいでした。

◇ そんな中で初出演、リラックスして演じることはできましたか。阿嘉(アガ:ファン・イーチェン演じる主人公)は自分に近い役柄だったのでしょうか。
◆ ぼくは演技が初めて、監督も初の長編映画、他にも映画が初めての役者さんも多かったし、それぞれ不安要素がありましたが、ぼく自身は自分に近いところもあって、阿賀を演じるには安心感がありました。

【ここからはネタバレになります。ご注意下さい。】

海角七号/君想う、国境の南│イメージ
(C) 2008 ARS Film Production. All Rights Reserved.
◇ 映画の中で阿嘉が友子に「行くな。行くならぼくもついて行く」と言いますが、ファンさんとしてはこういうことは有り得ますか。この阿嘉の行動はどう思われますか。
◆ 可能性としては有り得るかもしれないけど、現実的に考えると自分には仕事もあるし、何もかも捨ててついていくことは考えにくいですね。阿嘉の場合は大して仕事もしていないし、友子は自分より優秀な人なので、ついていっちゃえば悪いようにはならない。それに阿嘉は彼女に選択肢を与えていないでしょ、残るにしても、日本についていくにしても二人は一緒になる。阿嘉は自分がいいように持っていこうとしているかも。

阿嘉がどういう心境であの台詞を言ったのか、今まで生きてきた阿嘉から彼がどういう人物か見えてくると思う。映画の冒頭でギターを壊して「バカヤロー」ってなった行動から見ても、もう二度と台北に戻らないってことになったのは何がきっかけかは分からないけれど、性格的に何か足りない部分があるからそういうことになったんだと思う。

◇ 友子役の田中千絵さんは、友子の阿嘉への気持ちを「同情が愛になっていった」と解釈していて、それはすごくリアルですよね。ここでファンさんから阿嘉の側の気持ちの解釈を聞いて、さらに合点がいきました。
◆ そうだね。こうして話していたら、同情というよりも、女性は弱者を世話してあげたいという母性本能があるからだと思いました。男性が変に強がっちゃうと誰も寄ってこない。台湾語の表現で、「泣く子は飴がもらえる」というのがあるんですよ(笑)。

ここでファンさんから私に質問をしてきました。
◆ ファン:一回目に『海角七号』を見た時にあまり好きになれなかったのはなぜですか。
◇ 筆者:荒削りと言うか、あまり洗練されていない感じがあったのと、友子がキーキーまくしたてるシーンが多いのが不快だったんです。でも、子供からお年寄りまで楽しめる要素が盛り込まれている大衆映画を撮ることは、自分の趣味の世界を展開するより難しいこととも言えます。
それに私も、例えば中国にいるとイライラすることがあるし、友子の言動には外国に住むことのストレス、自分には分からない台湾語のストレスが反映されている。だから言葉の背景や違いが分かると楽しいですね(田中千絵さん自身も『頭文字<イニシャル>D THE MOVIE』(05)出演以降に台湾に拠点を移した日本人俳優)。そう言った意味でも、今まで日本で紹介されてきた作家性の強い台湾映画とはまた違った、大衆的な台湾の一端が垣間見られる映画だと思います。

◆ ファン:俳優たちが演じているっていう感覚がないのも、この映画ならではですね。

公式サイト:http://www.kaikaku7.jp
2008年/台湾/台湾語、北京語、日本語/130分/原題:海角七號
12月26日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開
配給:ザジフィルムズ/マグナム

中国インディペンデント映画祭

中国インディペンデント映画祭2009│イメージ
『グッド・キャット』
『中国インディペンデント映画祭2009』

昨年からスタートした「中国インディペンデント映画祭」。東京フィルメックスでも受賞経験のある応亮(イン・リャン)監督の作品がきっかけで中国のインディペンデント映画に興味を持ち、以来ボランティアの手を借りながらほぼ一人で映画祭を切り盛りしているのが中山大樹(なかやまひろき)氏。ノウハウがあれば一人でここまでやれるという見本のような映画祭ですが、だからといって誰もが出来る訳ではありません。やはりプログラミングの見識眼、自分の足で映画を見に赴き、監督たちにもコンタクトを取って協力を得なくてはなりません。それには字幕を理解し、やり取りにも不自由しない中国語力が必須です。ほかにはもちろん中国式な対応への忍耐に自己資金…諸々必要ですが、主催者のこだわりが反映されている手作りの映画祭には見る側に伝わってくるものがあります。公私ともに中国とディープな関係を結んでいる中山さんですが、以前は特に映画ファンではなかったとのこと。中国経験先にありきの彼の経歴を聞いてみました。

中国インディペンデント映画祭2009│イメージ
『小蛾(シャオオー)の行方』
中山さんの日本の大学での専攻は社会学、中国語は第二外国語として取っていましたが、在学中の1996年に北京に短期留学。中国人留学生に聞いて、日本人がほとんどいない大学を選んでもらい、留学中はできるだけ中国人と過ごすようにしたのが中国語学習に効果的だったとのこと。大学卒業後には、大学で教わった中国人の先生から個人的に紹介状を書いてもらい、やはり留学生が少ない大学で聴講生として一年間、社会学やマーケティングの授業に出たとのこと。「もっとも、目的は主に語学習得と旅行と就職活動で、授業はどうでも良かったんです」とのことですが、それから10年以上経ち、この上海の大学は、今では上海で有数の留学生が多い大学になっているとのこと。留学生のあまりいない大学となると、もうよほど地方に行かないと難しいかもしれないですね。

中国インディペンデント映画祭2009│イメージ
『武松の一撃』
その後、1999年より上海で駐在員として働き、転職、起業を経て、2008年から映画祭を開催。現在では映画が中心の生活をしており、ヤマガタ国際ドキュメンタリー映画祭にも携わり、字幕翻訳、通訳や執筆をしています。そもそも私が中山さんを知ったのは、映画のリサーチをしていて彼のブログに出会ったことがきっかけでした。中国の地方の映画祭で見た作品についてなど、行った人でなくては知り得ない情報に加え、2003年秋から2005年春まで、そしてその後もしばしチベット、雲南の怒江流域、四川の山岳地域などへの放浪日記を読むと旅心がかき立てられ、悲惨な経験も読む分には面白いし、「黒竜江省の冬は寒がりの私には無理だ〜」などと楽しめるのです。中国各地で様々な中国語に接したことが、様々な中国語が話される映画を見る上での理解にも繋がるのでしょう。

中国インディペンデント映画祭2009│イメージ
『収穫』
対中国貿易の仕事をしていたこともある中山さんですが、中国人との交渉ごとはさぞや大変かと思います。商売と映画の交渉は質が異なると思いますが、映画祭上映のために映画を提供してもらうには、時には煩雑な過程を経て、安くはない上映料を払わなければなりません。「作品を託してもらうには信用してもらうことが大事なので、監督たちとの交渉は、まず誰かに紹介を頼むことと、できるだけ実際に会って話すことを心がけています」とのこと。
中山さんはボランティアの手を借りて、上映素材の製作や字幕翻訳とその加工もしています。そのような技術と工夫で出資を控えることにより、映画祭が運営できているのです。彼のインディペンデント精神を見込んで、筆者が今年Sintok シンガポール映画祭を立ち上げるにあたり中山さんにも参加をしてもらい、彼のスキルと冷静な視点に大いに助けられました。

中国インディペンデント映画祭2009│イメージ
『オルグヤ、オルグヤ…』
今年の東京国際映画祭会期中の「中国映画週間」では中国建国60周年を記念して製作された大作、『建国大業』のような愛国心を鼓舞する映画、『ジャッキー・チェンを探して』のような中国人の誇りを喚起する、日本ではなかなか上映されないという意味では貴重な「主流」映画がかかりました。「中国インディペンデント映画祭」ではまさにコインの裏表のような、こちらも貴重な9作品が上映されます。政府の検閲を通していないこれらの反主流映画では、「主流」な中国映画や公的メディアからは知ることのできない中国の今を感じることができます。どれも見て間違いのない作品群です。

昨年デビュー作『馬烏甲』がCIFFでかかった趙曄監督の『ジャライノール/ 紮賚諾爾/JALAINUR』は今年のシンガポール国際映画祭でも受賞した作品。監督は受賞にもさらっとした印象の、気負わない若者という風情でしたが、審査員を務めたタイの俳優、アナンダ・エヴェリンハム曰く「美しい。映画の概念がぶっ飛んだ映画」。

『武松の一撃/武松打我/Lost In Wusong』の陸一同監督は、私の高校時代の友人の夫でもあり、香港国際映画祭上映時に応援に行くと見事に国際批評家連盟賞を受賞しました。「水滸伝」を上手くモチーフにしながら余皚磊(『アイラヴ北京 - I Love Beijing』、『鳳凰わが愛』、『三国志』)演じるダメ男君に「なんだ日本も中国も同じじゃない」と安心(がっかり)・共感できる作品です。「ダメ男なんかわざわざ見たくない」って? いや今日的中国(普遍的?)男人像が楽しめますよ。
会場に足を運べない人にも臨場感を伝えるブログもあわせてお楽しみ下さい。 ※ゲスト情報や詳細は映画祭公式サイトをご覧ください。

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松下由美・・・・東南アジアとヨーロッパに長く滞在。
映画祭・映画イベントの司会・英語通訳や映画撮影の製作を担当している。
アート、インディペンデント系、アジア作品を多く担当し、中国語圏作品好きも高じて中国へ短期留学経験あり。
Sintok シンガポール映画祭実行委員。http://www.sintok.org/
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